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今回は世界一のエンターテイメント都市ラスベガスの歴史がわかる画像集の話題です。ラスベガスはカリフォルニア州の隣、アメリカ西部に位置するネバタ州南東部にある、ネバタ州最大の都市。

ラスベガスといえばカジノ、ギャンブル、各種エンターテイメントなど、いわずと知れた世界一の大歓楽都市ですよね。しかしもともとは広大な砂漠地帯でゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州への中継地点(オアシス)に過ぎなかった。

ゴールドラッシュのブームが終わるとさしたる産業の無いネバタ州はいよいよ手立てがなくなり、1931年賭博を合法化させた。近くでダム建設があり労働者たちがあつまる街となった。

砂漠のラスベガスが本格的に変貌を遂げるのは、第2次大戦後である。ニューヨーク出身のギャング、ベンジャミン(バグジー)・シーゲルがカリフォルニア(ハリウッド)に勢力を確立させ、次に目をつけたのがギャンブルが合法となっていたラスベガスだった。ラスベガスを巨大な歓楽街にするのがバグジーの夢となった。

当時のラスベガスはまだ小さなカジノしかない3流の繁華街。バグジーはそこにハリウッドのような壮大なホテルにカジノを併設させた「フラミンゴホテル」を建設したのだった。1946年フラミンゴホテルは完成、しかし建設費が膨大になってしまい、また売り上げもなかなか上がらず赤字がかさみ、バグジーは窮地に立たされた。膨大な建設費はギャング(マフィア)のボスたちに頼み込んでかき集めていたのだ。

仲間の信用を失い目障りなだけの存在となったバグジーは1947年6月ヒットマンにより殺害された。しかし彼の死後、ラスベガスもフラミンゴホテルも次第に活況を見せ始め、マフィアが次々とホテルを建設していったのだった。そしてラスベガスは一大歓楽街となった。

1960年代後半ごろから当局の取締りが厳しくなり、マフィアはラスベガスのホテルを手放していった。現在のラスベガスは老若男女誰もが楽しめる安全な街となりますます発展を見せている。

それでは、砂漠から一転、世界一の歓楽都市となったラスベガスの変容の様子をごらんください、どうぞ。

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トラベル/リゾート, 世界びっくり

今回は古い懐中時計を分解してその部品からアートな作品を作っちゃったという話題です。

ニュージャージー州在住の画家で彫刻家のスーザン・ベアトリスさんは自然環境に優しいアートをスタイルとして掲げていて、今回ご紹介する作品群も古い時計の部品からアートを再生させるといういわばリサイクルアートなんですね。

そしてこれがなんともオシャレ!時計の細かい部品を組み合わせてスカルプチャーを形作っています。金属的で機械的なのにレトロな趣を感じられて、また、その冷たい質感にさびしげな雰囲気も感じ取れます。部屋に一つ飾っておきたいって思わせますよね。スーザンさんのブログやフェイスブックのページで販売もしているようです。

それにしてもこの懐中時計ってすごいですよね。何百年も前の発明ですからね。ゼンマイを巻いて中の細かいパーツが連動して正確に時を刻む仕組みって良くわかりませんが、今みたいに電池(電気)の動力じゃないってことがすごい。日本ではそういったゼンマイ仕掛けの機械を「からくり」といっていたんですね。TOSHIBAの創業者である田中 久重氏は江戸時代にとんでもなく精巧な機械をいくつも開発していたのは有名です。興味のある方は調べてみてください。

話が脱線しましたが本題に戻って、古い懐中時計のパーツから作られたアート作品をご覧下さい、どうぞ。

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デザイン アート

今回は世界的に有名な人物たちの最晩年を撮影した画像集です。

今は亡き数多くの記憶を残した有名人たち。そんな著名人たちが最後に撮影された写真なのだと思いますが、海外サイトに紹介されていました。

若くしてなくなったり、暗殺されたりしてその死が特に衝撃的だった有名人たちが多く紹介されていました。

さっそく見ていきましょう、世界的な著名人の最晩年画像集です、どうぞ。

ボブ・マーリー 1945年2月6日 – 1981年5月11日

ジャマイカのカリスマ的レゲエミュージシャン。癌により死去、享年36歳。

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エイブラハム・リンカーン 1809年2月12日 – 1865年4月15日

第16代アメリカ合衆国大統領、「奴隷解放の父」。観劇中、銃により暗殺、享年56歳。

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アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 – 1945年4月30日

ナチス党首、第二次大戦中のドイツの独裁者。拳銃で自殺の後、焼却。享年56歳。

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アルバート・アインシュタイン 1879年3月14日 – 1955年4月18日

ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。腹部大動脈瘤の破裂により死去。享年76歳。

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エイミー・ワインハウス  1983年9月14日 – 2011年7月23日

イギリスのソウル・R&Bのシンガーソングライター。アルコール中毒により死去、享年27歳。

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アンネ・フランク 1929年6月12日 – 1945年3月上旬

『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人。強制収容所にてチフスを罹患し死去、享年15歳。

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エルビス・プレスリー 1935年1月8日 – 1977年8月16日

アメリカのR&Bとカントリーを融合させたロックの創始者の1人。睡眠薬による不整脈により死去。享年42歳。

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フランクリン・ルーズベルト 1882年1月30日 – 1945年4月12日

アメリカ第32代大統領。世界恐慌、第2次大戦時の国際政治をリードした。脳卒中により死去、享年63歳。

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フレディー・マーキュリー 1946年9月5日 – 1991年11月24日

イギリスのミュージシャン、ロックバンド「クイーン」のボーカリスト。イラン系インド人でゾロアスター教の両親から生まれた珍しい出自の偉大なミュージシャンである。またゲイであり、死因はHIVによる感染合併症。享年45歳。

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世界びっくり

今回は世界一大きな観覧車TOP10の話題です。

高所からの眺望を楽しめる観覧車。しかしゴンドラが周るしゆれるし怖いので高所恐怖症の人には厳しいですよね。中国には安全が確認されないため人は乗れないけど動いている大観覧車があるそうです。そう、観覧車は建築物としてランドマークになるという側面もありますね。

さて、そんな観覧車ですが90年代まで、日本が観覧車の大きさで世界一の記録を更新しまくっていたようなんです。バブルのイケイケ感が伝わってくるエピソードですが、大観覧車はインパクトがあるので高い建築技術をはじめとした国力みたいなものを世界にアピールするためにもいいかもしれませんよね。

というわけで、現在大観覧車を作りまくっている国はというとどこでしょうか?そうです、中国なんですね。中国は観覧車だけでなく、どデカイものを近年は作りまくっているイメージがありますね。どデカイ=成金の象徴見たいな感じがしますが・・・。それからやっぱりUAEのドバイで現在世界最大の観覧車が建設途中だとか。なんだかわかりやすいことになってますね(笑)。あれほど作られていた日本での大観覧車の建設は過去15年くらい無いみたいですね。大人になったんでしょうかね。

それでは、世界最大の観覧車トップ10をごらんください、どうぞ。

10.パレットタウン大観覧車 (高115m、径100m) お台場

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9.ダイヤと花の大観覧車」(高117m、径111m) 葛西臨海公園

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営業終了.「Sky Dream Fukuoka」(高120m、径112m)福岡市 2009年まで

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 4.鄭州フェリスホイール 120メートル 中国 広東省広州市

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 4.長沙観覧車 120メートル 中国 長沙市

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デザイン アート, 世界びっくり

今回は史上最も偉大な、あるいは影響力のあった革命のTOP10という話題です。

革命、レボリューションというと皆さん何を思い浮かべますか?近年でいうとエジプトで独裁を敷いていたムバラク大統領が大規模なデモによって辞任に追い込まれたエジプト革命がありましたね。

革命とは広義には抜本的な社会変革が行われることですが、歴史的には支配権力が下層の階級に転覆されることを言いますよね。王や貴族が資産家市民(ブルジョア)に、ブルジョアが平民(一般的市民)に、さらに労働者(プロレタリアート)に権力を奪われる。結果現在は多くの国で平等な人権が獲得されることとなっていますね。

革命と似たものにクーデタという言葉がありますが、これは闘争により単に権力者が入れ替わることで、必ずしも階級闘争ではありません。たとえば明治維新については革命とはいえないという議論がありますね。ですが単なるクーデタでもない。ということで「維新」という言葉が使われているのでしょう。

それでは史上最も偉大な、あるいは影響力の大きい革命TOP10を見て行きましょう。

10.ハイチ革命(1791年 – 1804年)

アメリカ大陸や西インド諸島に奴隷としてつれてこられた黒人たちによる反乱の中で、最も成功したもの、革命である。これによりハイチで史上初めて黒人による共和国が設立された。当時ハイチは世界の砂糖の40%をまかなう生産地であった。フランスの植民地であったハイチは奇しくも本国のフランス革命に影響され黒人指導者のトゥーサン・ルーヴェルチュールや彼を引きついたジャン=ジャック・デサリーヌらの扇動によってフランスからの独立が達成された。さらに、その後のアメリカの黒人奴隷による反乱を準備したといえる。

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9.イラン革命(1972年2月)

米国とソ連の冷戦が繰り広げられていた中、イランは地理的、資源的な理由による国際戦略から米国の傀儡政権が樹立していた。それは脱イスラームの近代化政策を掲げた政府であった。弾圧されていたイスラム教勢力はフランスに亡命を余儀なくされていた宗教と革命の指導者ルーホッラー・ホメイニーを精神的支えにし、革命を成功させた。朝鮮やベトナム、アフガンといった地域で冷戦における米ソの代理戦争が繰り広げられたこととは異なり、反米を掲げながらもイランはソ連の力を借りるのではなく、第三の世界としてイスラム教勢力の自立を世界に示したといえる。

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8.キューバ革命(1953年~1959年)

著名な革命家フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となって、米国の影響力の下にあった政権を打倒した武装闘争。少数先鋭から始まった壮絶なゲリラ戦によって勝利を勝ち取ったこと、アルゼンチン人の医学生である英雄チェ・ゲバラが革命軍に命を賭したことで後に伝説となる。もともとは共産主義革命ではなかったが、アメリカの執拗な警戒心から後にソ連に近づくことになる。アメリカと目と鼻の先にある国での共産主義国家の成立は世界を驚かせるに充分だった。

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7.1911年の辛亥革命から国共内戦を経て1949年の中華人民共和国成立

イギリスとのアヘン戦争、日本との日清戦争で大敗したことで列強への恐怖がつのる中、時の政府「清朝」に対し、孫文らを中心に日本の明治維新を参考とした近代化を目指す勢力が清朝の打倒を達成し中華民国が設立される。その後、中華民国総統の蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党は内戦を続けていたが、日中戦争の間は国共合作し協力した。第2次大戦後、ソ連から支援を受ける共産党は、アメリカからの支援を切られた国民党を倒し、中華人民共和国が設立された。国民党の中華民国政府は台湾に逃れた。

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6.青年トルコ人革命(1908年~)

オスマン帝国末期に専制を敷くアブデュルハミト2世に対して、青年将校たちが憲政を目指して反乱した革命。日露戦争での日本の勝利が、憲政の確立によるものとしてこの革命に影響をあたえた。その後、第一次大戦後のトルコ独立革命に結実していく。さらにその後のトルコの近代化も青年トルコ人が牽引していった。歴史的に非常に影響力の強いイスラーム教の戒律を政治から切り離スコとに成功し、憲法を立てる近代国家となった。青年トルコ人という名称は彼らが亡命していたフランスの「青年イタリア」といった政治結社からなぞらえられた。

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5.太平天国の乱(1850年~1863年)

史上最も血なまぐさい内戦といわれている。2000万人あまりの死者を出した。

キリスト教徒の洪秀全(こうしゅうぜん)が「太平天国」を建国し清朝と13年に渡る壮絶な内戦を繰り広げた。当時の日本はこの内戦を漢民族による打倒清朝(打倒満州民族)の内乱だととらえており、まさか漢民族出身ではない洪秀全によるキリスト教徒の反乱だとは思いもしていなかった。太平天国軍は規律を遵守し高いモラルを有していたことから人々の人気を博し、拡大していった。また西欧諸国からの後ろ盾も加わり清朝打倒の一歩手前まで踏み込んでいった。

しかし洪秀全は清朝を滅ぼした後は西欧列強から朝貢を受ける気でいたため、かみ合わなくなり西欧列強は清朝側の支援に傾いていった。洪秀全が当時の世界の力関係と中国の現状を良く把握していたら中国にはまさかのキリスト教国が誕生していたかもしれない。

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