4月8日、脳卒中のため、元英国首相・マーガレット・ヒルダ・サッチャーがこの世を去った。享年87歳。何事にもひるまない、あるいは非情だと形容され、「鉄の女」の異名を持つサッチャー。私たちにとって、彼女のことが好きか嫌いかということを両極端に決裂させるサッチャー。

サッチャー首相は、戦後の最も印象的な政治家の一人であることは間違いない。そんなマーガレット・サッチャーに敬意を表し、彼女の象徴的な場面の10選を紹介する。

―――――――――――――――――――――

10・選挙

マーガレット・サッチャーは1975年、英国保守党党首選挙において出馬を不安視されていながらみごと党首に就任する。同年、ソビエトも参加した全欧安全保障協力会議(ヘルシンキ宣言)を痛烈に批判。ソビエトの国防省機関紙によって「鉄の女」と呼ばれ非難された(サッチャー自身がこれを気に入り、後にサッチャーの代名詞となった)。

1979年、英国経済の復活、小さな政府を掲げ、保守党を大勝に導く。英国初の女性首相の誕生である。サッチャーは首相就任によってメディアの露出が増えることをみこして、事前に9kgのダイエットを成功させていたという。

DEATH-Thatcher-132186301-2547941

 

9.IRA(アイルランド共和軍)との対峙

北部アイルランドはイギリス連邦に属している。統一アイルランドの実現を目指すIRAは、2005年の武装解除までイギリス政府に対し幾度となく武装テロやハンストを繰り返してきた。サッチャーはIRAの政治犯の権利を剥奪する方針を表明し、IRAとの対決を鮮明にする。1981年、IRAの政治犯として収容されていたボビー・サンズはハンガーストライキ(主張が聞き入れられるまで断食を敢行する=ハンスト)を決行。彼は60日間のハンストの後に死亡した(他仲間9名が死亡)。

margaret-thatcher

 

8.ブライトンの爆破

保守党党大会開催中のブライトンで、投宿していたホテルでIRAによる爆弾テロに遭う。

1984年10月12日、保守党党大会が開かれていたブライトンでサッチャー首相をはじめ保守党の閣僚・議員らが宿泊していたホテルで爆弾が爆発し、議員やその家族など5人が死亡、30余人に怪我をさせた。サッチャーは無傷だった。まさに鉄の女。

brightonbomb_1499795c

 

7.フォークランド紛争

アルゼンチンと英国の双方が領有権を主張する、南米大陸南端から500kmの沖に位置するフォークランド諸島をめぐる紛争である。近代化された西側諸国同士の始めての紛争で、また白兵戦にまで及んだ。1982年3月から3ヶ月間に及び、双方一進一退の攻防を繰り広げたが6月13日からのイギリス軍による全面攻撃によってスタンレーが陥落。停戦宣言を迎える。サッチャーは「我々は武力解決の道を選択する」と強硬姿勢を崩さなかった。

4559976587

 

6.牛乳泥棒

1970年からヒース内閣で教育科学相を務めた時である。教育関連予算の削減に迫られたサッチャーは、学校給食で牛乳を無償で配給する制度を廃止した。このことで「ミルク泥棒」とやじられ、猛烈な抗議の嵐を巻き起こした。

milk-snatcher

 

5.民営化

サッチャーの経済改革において最も大きなことは、ガスや石油、鋼鉄、電話、空港、航空など国営独占企業の民営化を強引に推し進めたことだろう。競争、民間事業、倹約、自立が信条で「サッチャリズム」で知られる新保守主義の政治哲学を生んだ。

ただしこのことで、多くの失業者を生み出したほか、鉱業などの産業も大きく衰退、欧州の同盟国を敵に回すことにもなる。

Thatcher-At-Harrier-Facto-001

 

4.死んだオウム

「死んだオウム」とは英国のコメディー・グループ『モンティー・パイソン』がテレビ番組で演じた有名な寸劇である。もともと死んでいるオウムを売る店員が、客のクレームに「休んでいるだけ」などと言い訳をする。

1990年、サッチャーは演説の中で「死んだオウム」のネタを登場させ、会場を大受けさせた。それは敵対する民主党のマスコットがオウムであることにかけたものである。

 

3.ストライキ

サッチャーの教育改革法に対し、労働組合との激しい戦いが始まる。教師は半年間もストをしたり、国会へ向けたデモを行うなど、徹底抗戦した。しかし、鉄の女は屈しない。熾烈な闘争を経て、サッチャーの努力は1988年教育改革法という形で結実する。それまで英国も日本同様、自虐史観的教育が行われていたという。

炭鉱労組は、1984年の1年間、全国的なストライキを率いて激しく抵抗した。 しかしサッチャーは労組と全面戦争を辞さず、結局労組を完全に無力化さ せる。サッチャー政府の下で165の鉱山が閉鎖され、23万人が雇用を失った。

strike_0

 

2.人頭税

人頭税とは、個人の納税能力とは関係なく国民一人ひとりから一定額を課す税金。

保守的かつ急進的な改革を断行する強い姿勢から、3度の総選挙を乗り切ったサッチャーだったが、任期の終盤には人頭税の導入を提唱してイギリス国民の強い反発を受けた。また欧州統合に懐疑的な姿勢を示したために財界からもイギリスが欧州統合に乗り遅れる懸念を表明する声が上がった。

3541

 

1.マーガレット・サッチャーの遺産

1990年、サッチャーは英国首相を退任となった。彼女は11年間という英国最長の首相在位期間の中で、多くの遺産を残した。労働組合を服従させ、政府を縮小し、共産主義に断固たる態度を取ったその遺産は、サッチャーを世界的に重要な政治家たらしめた。1979年当時の英国がかつての栄光から遠く離れ、どれほど悲惨な状況だったかを思い出すことは難しいほどである。

しかし、サッチャーが英国の首相の中で最も多くの敵を作ったということは確かである。なぜ彼女がそこまで強烈な意志を断行できたのか、計り知れないものがある。

Margaret_Thatcher_01

http://listverse.com