今回は私たちにあまり知られていない『ブラジル』のいろいろな側面という話題です。
2014年のワールドカップ、2016年のリオデジャネイロオリンピックを控えますます注目が集まるブラジル。
ご存知ブラジル連邦共和国は南米大陸唯一のポルトガル語文化圏(他はスペイン語)で、世界第5位の面積、世界第6位の経済規模をほこり、まだまだ更なる発展が予想されている、いまや大国の一員に数えられる国ですね。私たちの国、日本とは非常に関係の深い国でもありますが、サッカーの強国としての印象ばかりが先行している。
そんなブラジルの「知られざる側面ベスト10」という話題が、海外サイトにあったのでご紹介したいと思います。結論を先に言ってしまうと、この話題の中で、ブラジルと日本の意外な関係(海外にとっては)こそが1位になっていたのでした。
さて、それではさっそく見て行きましょう。
ブラジルのあまり知られていない10の側面です、どうぞ。
10.囚人がニットを編む国
「DOISELLES」(ドゥッセーリス)という多彩なニット製品をあつかうブランドがあり、それはブラジル国内のみならず欧米でも人気がある。海外需要が増え続けた結果、デザイナーは受刑者に生産を依頼、いまでは製品の7割を受刑者が編んでいるという。もともとは、リン・ズウェリングさんというおばあさんが刑務所で編み物教室を始め、囚人に人気を博していたことが下地となっているようだ。
9.ナチスとの関係
南米、特にアルゼンチンが反イギリス反アメリカ感情から、あるいは親ファシズム、親ドイツであることから戦後ナチスの亡命者を数多く受け入れていたのはよく知られている。一方ブラジルも連合国の一員(署名したのは遅い)ではあったのだが、戦前は多くのドイツ人(特に軍人)を自国に招いていたし戦後も亡命者を入れていたという。
戦後カンディド・ゴドイというブラジルの村に追っ手から逃れてやってきた、ドイツの医師でナチス親衛隊のヨーゼフ・メンゲレは特に有名である。彼は収容所で人体実験を繰り返していたマッドサイエンティストであった。メンゲレがたどり着いたカンディド・ゴドイの村では金髪と碧眼(いわゆるアーリア人的特徴)を備えた双子が次々に生まれるという奇怪な現象が相次いで起こった。
8.ファベーラと観光
ブラジルの都市部のおもに山の壁面に張り付くように広がる貧民層(スラム街)がファベーラである。ブラジル政府は長きに渡りファベーラの一掃を目論んできたが、その規模は減るどころか増え続けているの現状である。長らくファベーラといえば貧困からくるあらゆる犯罪をイメージさせるのが普通であったが、そんなファベーラも警察の取締りの強化で治安が大幅に良くなり、近年は観光スポットしての人気が上がっているという。ファベーラの住民によるガイドも充実しているとのこと。
7.野良犬のためのファベーラ
ブラジル南部の都市カシアス・ド・スルには捨てられた犬や猫たちのためのファベーラ(スラム)が存在する。動物愛護団体の「So Ama」は、1600匹の捨て犬のために本来はシェルターを建設する希望を持っているのだが費用が集まらず1000個の犬小屋を設置することとなった。他に200匹の猫も保護されているという。
6.イルカといっしょに漁をする人々
ブラジル南部のラグナという地域では古くからイルカの助けをかりて鰡の群れを追い込んでの漁が行われているという。その様子はさながら狩猟犬あるいは牧羊犬のようである。50匹のイルカたちが網を仕込んで待ち構える漁師たちにヒレをつかって合図するのだ。イルカたちが何の見返りも求めずに漁を手伝う理由はいまだに謎のままだといいます。
5.ボイ・ブンバ
ブラジルのお祭あるいはカーニバルといえばサンバカーニバルが有名であるが、より伝統的で巨大な『ボイ・ブンバ』というお祭がある。アマゾン最大の祭りとも、世界最大のオペラともいわれるのがボイ・ブンバで、ポルトガルの「泥んこ色の雄牛」という民話が元になっている。ウシとアマゾンの大自然、インディオをテーマに巨大な山車を制作し、スタジアムで劇が繰り広げられる。世界中から多くの人が見物に訪れる。
4.ブラジルのアントニオ・ガウディ
サンパウロにある2番目のファベーラ(スラム街)「パライゾポリス」に住むエステヴァンさんは、ブラジルのアントニオ・ガウディと呼ばれる人物。ガウディといえばご存知、スペインの超有名なサクラダ・ファミリアを建築した人物ですよね。もともと庭師であるエステヴァンさんは26年間にわたって毎日、自宅に何らかのオブジェを加えていっているという。それはさながら前衛芸術家の住居のようだ。
3.古代のブラジル
南米大陸に現在の人類が渡ってきたのは紀元前11000年前である。それからコロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見しポルトガル人のペードロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルの地を発見するまでの間の歴史はまったくといっていほど知られていない。発見当時500万~600万人いた先住民は1950年に10万人にまで減ってしまっている。
2.ブラジル先住民による森林火災の消防
アマゾンの熱帯林がはかつて減少の一途をたどっていたが、現在ではさまざまな森林保護の活動によって好転している。森林減少の一番の要因は、無制限に森林が伐採された土地が乾燥し、少しの自然の摩擦でも火災が発生することによる。自然保護のNGOはアマゾンに住む先住民たちに消防の技術と用具を提供し森の万人として活躍してもらおうと働きかけている。
1.日系ブラジル人
ブラジルには現在150万人の日系人が暮らしているといわれています。ブラジルは世界最大の日系人居住地となっている。日本人の海外移住は1868年から始まって1960年代ごろまで続いた。はじめはハワイ、つぎにアメリカが主な移住先だった。ブラジルと国交が樹立されると1908年の笠戸丸によるブラジルへの移民が行われて以来、日本人は広い土地と大自然の待つブラジルへ次々に移住して行った。
ブラジルは1888年の奴隷制の廃止にともない、コーヒー農園の労働力が著しく不足していたのだった。また日本は明治になり急速に近代化しなければならない世情の中で、国家として国民を養っていくことができず海外移住者を大々的に募集していた。労働力はあまっているが仕事が無く、仕事にありつけない人々は移住先に希望をたくすほかない時代であった。
昭和の日本に高度成長期が訪れるまで、長きに渡ってのべ13万人の日本人がブラジルにわたったという。2世3世とその子孫たちもあわせ日系ブラジル人は150万人にのぼる。日系人は非常に勤勉で評価も高く、現在はブラジルの社会的地位が高い職業についているケースが多いいという。日本の1990年の入国管理法の改正により逆にブラジル人の日本への移住が急速に増加した。東海地方を中心に在日ブラジル人は21万人にのぼっている。
少子化で日本の人口は見る見る減っていく現在からみると、当時の日本が抱えきれない労働者の海外移住を奨励していたという動きは、何か妙な違和感を感じさせますね。
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