海外のサイトで『歴史上もっとも悪かった人々』という記事があってけっこう興味深かったのでご紹介したいと思います。

猟奇殺人者や凶悪犯罪者ではなく、政治指導者や国家元首がならんでいたのですが確かに世の中に対する影響やその意味というものが前者とくらべてはるかに大きいですからね。

そしてその影響はその後の歴史にまで影を落としたり、引きづったまま現代に至っているという場合もあります。

前置きはいいとして早速見てみましょう。

 

 

12位:アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー(1902年9月24日 – 1989年6月3日)

イランのイスラム教シーア派の指導者でイラン革命をなした人物。イスラーム以外の宗教の信者はすべて二級市民となり、特定の宗教を信仰を禁じられる人々もいた。女性はヒジャブの着用を強制され、違反した場合逮捕されたり公職から追放された。そのため宗教的弱者や少なからぬ女性にとって革命後のイランはかつての全体主義社会同様の的様相を帯びた。

 

11位:金日成(キム・イルソン 1912年4月15日 – 1994年7月8日)

朝鮮民主主義人民共和国の初代国家主席。

主体思想(チュチェ思想)をかかげ、首領=金日成の唯一絶対の思想としての地位を確立し、これに対する一切の批判を排除した。絶対的権力を正当化するイデオロギーとしての色彩を強めていく。それは長男・金正日への地位の継承を準備する意味も持っていた。本来の主体思想はマルクス・レーニン主義の適用だが、それは独裁や個人崇拝に利用された。

 

10位:チンギス・カン(1162年5月31日 – 1227年8月25日)

モンゴルの遊牧民族を統一し世界史上稀に見る大帝国、モンゴル帝国の基盤を作った人物。戦争の歴史上で最も活躍し最も成功した都市征服者といわれ、当時5000万人ほどいた中国の人口が、わずか30年後に行われた調査によれば約900万人ほどになってしまったという。

「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」との言葉を残している。

 




さて9位で我々にとってはとてもショッキングな人物が登場します。

 


 

 

9位:昭和天皇、裕仁(1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)

先の大戦中の日本の国家元首その人である。東京裁判で天皇の戦争責任は問われなかったのだが、海外の人から見ればやはり戦争を主導した人物と見られているのでしょう。つまり海外での一般的な昭和天皇のイメージは今に至るまで先の大戦における大日本帝国のアジア諸国への侵略のイメージとともにある、といえるかもしれません。もちろん昭和天皇ご自身が戦争責任を感じていたのは確かですが。

 

8位:毛沢東(1893年12月26日 – 1976年9月9日)

日中戦争後、中華民国(国民党)を台湾に追いやり中国共産党による中華人民共和国を建国させた人物。1958年に大躍進政策を発動。農村では人民公社が組織されたが、かえって農民の生産意欲を奪い、無謀な生産目標に対して実際よりも水増しされた報告書が中央に回るだけの結果になった。こういったことから大躍進政策は失敗し、発動されてから数年で2000万人から5000万人以上の餓死者を出した。1966年から文化大革命では自身の復権を画策し、民衆を扇動して政敵を攻撃させ失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であった。これにより1億人近くが何らかの損害を被り、国内の大混乱と経済の深刻な停滞をもたらした。

 

7位:ポル・ポト(1928年5月19日 – 1998年4月15日)

カンボジアで共産主義革命を指導し民主カンプチア(民主カンボジア)を建国。ポル・ポト政権下3年8ヶ月のあいだに虐殺、餓死などで国民100万人~200万人をしに至らしめた。


6位:サダム・フセイン(1937年4月28日 – 2006年12月30日)

イラクの大統領。大統領に就任した直後、イラン・イラク戦争が始まったがこの戦いでクルドはイランについた。そのため戦争が終結した1988年、多数のクルド人がイラク軍よる化学兵器(毒ガス)により大量虐殺された。1990年1月石油価格引き上げを呼びかけに答えないクウェートを非難しさらに「クウェートがイラク南部のルマイラ油田から盗掘している」糾弾、ついに1990年8月イラクはクウェートに侵攻した(湾岸戦争)。

 

5位:イヴァン4世(1530年8月25日-1584年3月18日 )

ロシアの初代ツァーリ。雷帝の異名をもつロシア史上最大の暴君といわれている。
絶対的権力を行使するため親衛隊を組織し反対する貴族をテロルによって弾圧した。ノヴゴロド市が敵に通じていると疑いをかけ親衛隊に襲撃させ、市民3万人以上を殺害する。

 

4位:オサマ・ビン・ラディン(1957年3月10日 – 2011年5月2日)

イスラム過激派のテロリスト。アメリカ同時多発テロ事件をはじめとした数々のテロ事件の首謀者と目されている。2011年5月2日パキスタンでアメリカ海軍米国海軍特殊部隊が行った軍事作戦による銃撃戦にて殺害されたとされる。

 

3位:ヴラド・ツェペシュ(ドラキュラ公)1431年11月10日 – 1476年12月19日

15世紀ワラキア公国(現ルーマニア)の君主。敵国オスマン帝国軍のみならず自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑したとされる。有力貴族を招待して酒宴を開き、油断した貴族らを皆殺しにしたという。ドラキュラ伯爵のモデルの一人として有名。

 

2位:ヨシフ・スターリン (1878年12月18日 – 1953年3月5日)

ソビエト連邦第2代最高指導者。大粛清と呼ばれる反対派への大規模な政治弾圧とホロドモールと呼ばれるウクライナの強制移住による大飢饉によって1000万~1100万死亡したとされる。ホロドモールはスターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていたが2006年にウクライナ議会は「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した。

 

1位:アドルフ・ヒトラー (1889年4月20日 – 1945年4月30日)

ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党・ナチス党)指導者。ドイツの首相・大統領を兼ねる「総統」として第一次大戦後のドイツを拡大政策に導き、ポーランド進行(白作戦)により第二次世界大戦を勃発させる。ユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺(ホロコースト)による死者は500万~600万ともいわれている。







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