今回は史上最も偉大な、あるいは影響力のあった革命のTOP10という話題です。
革命、レボリューションというと皆さん何を思い浮かべますか?近年でいうとエジプトで独裁を敷いていたムバラク大統領が大規模なデモによって辞任に追い込まれたエジプト革命がありましたね。
革命とは広義には抜本的な社会変革が行われることですが、歴史的には支配権力が下層の階級に転覆されることを言いますよね。王や貴族が資産家市民(ブルジョア)に、ブルジョアが平民(一般的市民)に、さらに労働者(プロレタリアート)に権力を奪われる。結果現在は多くの国で平等な人権が獲得されることとなっていますね。
革命と似たものにクーデタという言葉がありますが、これは闘争により単に権力者が入れ替わることで、必ずしも階級闘争ではありません。たとえば明治維新については革命とはいえないという議論がありますね。ですが単なるクーデタでもない。ということで「維新」という言葉が使われているのでしょう。
それでは史上最も偉大な、あるいは影響力の大きい革命TOP10を見て行きましょう。
10.ハイチ革命(1791年 – 1804年)
アメリカ大陸や西インド諸島に奴隷としてつれてこられた黒人たちによる反乱の中で、最も成功したもの、革命である。これによりハイチで史上初めて黒人による共和国が設立された。当時ハイチは世界の砂糖の40%をまかなう生産地であった。フランスの植民地であったハイチは奇しくも本国のフランス革命に影響され黒人指導者のトゥーサン・ルーヴェルチュールや彼を引きついたジャン=ジャック・デサリーヌらの扇動によってフランスからの独立が達成された。さらに、その後のアメリカの黒人奴隷による反乱を準備したといえる。

9.イラン革命(1972年2月)
米国とソ連の冷戦が繰り広げられていた中、イランは地理的、資源的な理由による国際戦略から米国の傀儡政権が樹立していた。それは脱イスラームの近代化政策を掲げた政府であった。弾圧されていたイスラム教勢力はフランスに亡命を余儀なくされていた宗教と革命の指導者ルーホッラー・ホメイニーを精神的支えにし、革命を成功させた。朝鮮やベトナム、アフガンといった地域で冷戦における米ソの代理戦争が繰り広げられたこととは異なり、反米を掲げながらもイランはソ連の力を借りるのではなく、第三の世界としてイスラム教勢力の自立を世界に示したといえる。

8.キューバ革命(1953年~1959年)
著名な革命家フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となって、米国の影響力の下にあった政権を打倒した武装闘争。少数先鋭から始まった壮絶なゲリラ戦によって勝利を勝ち取ったこと、アルゼンチン人の医学生である英雄チェ・ゲバラが革命軍に命を賭したことで後に伝説となる。もともとは共産主義革命ではなかったが、アメリカの執拗な警戒心から後にソ連に近づくことになる。アメリカと目と鼻の先にある国での共産主義国家の成立は世界を驚かせるに充分だった。

7.1911年の辛亥革命から国共内戦を経て1949年の中華人民共和国成立
イギリスとのアヘン戦争、日本との日清戦争で大敗したことで列強への恐怖がつのる中、時の政府「清朝」に対し、孫文らを中心に日本の明治維新を参考とした近代化を目指す勢力が清朝の打倒を達成し中華民国が設立される。その後、中華民国総統の蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党は内戦を続けていたが、日中戦争の間は国共合作し協力した。第2次大戦後、ソ連から支援を受ける共産党は、アメリカからの支援を切られた国民党を倒し、中華人民共和国が設立された。国民党の中華民国政府は台湾に逃れた。

6.青年トルコ人革命(1908年~)
オスマン帝国末期に専制を敷くアブデュルハミト2世に対して、青年将校たちが憲政を目指して反乱した革命。日露戦争での日本の勝利が、憲政の確立によるものとしてこの革命に影響をあたえた。その後、第一次大戦後のトルコ独立革命に結実していく。さらにその後のトルコの近代化も青年トルコ人が牽引していった。歴史的に非常に影響力の強いイスラーム教の戒律を政治から切り離スコとに成功し、憲法を立てる近代国家となった。青年トルコ人という名称は彼らが亡命していたフランスの「青年イタリア」といった政治結社からなぞらえられた。

5.太平天国の乱(1850年~1863年)
史上最も血なまぐさい内戦といわれている。2000万人あまりの死者を出した。
キリスト教徒の洪秀全(こうしゅうぜん)が「太平天国」を建国し清朝と13年に渡る壮絶な内戦を繰り広げた。当時の日本はこの内戦を漢民族による打倒清朝(打倒満州民族)の内乱だととらえており、まさか漢民族出身ではない洪秀全によるキリスト教徒の反乱だとは思いもしていなかった。太平天国軍は規律を遵守し高いモラルを有していたことから人々の人気を博し、拡大していった。また西欧諸国からの後ろ盾も加わり清朝打倒の一歩手前まで踏み込んでいった。
しかし洪秀全は清朝を滅ぼした後は西欧列強から朝貢を受ける気でいたため、かみ合わなくなり西欧列強は清朝側の支援に傾いていった。洪秀全が当時の世界の力関係と中国の現状を良く把握していたら中国にはまさかのキリスト教国が誕生していたかもしれない。

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